12th February 2025

(これは2月14日から開催する個展で読める冊子用の文章の冒頭です。続きは会場に来て読んで頂けたら有り難いです)


最近、妙に思い出される人がいる。

小中学校の同級生でキヨトという男の子がいた。ぐりぐりの天然パーマだが今思い返すと顔立ちは良く、頭が小さくて背が高い。野球ばかりしていていつもは温厚だが、何かの拍子に激高すると手が付けられず、目に涙を溜めたまま相手を滅多打ちにしてしまう。それで私もクラスの人間も微妙な距離を空けながらの付き合いになっていて、深い所で関わっている者が少ない。しかし今思い出させるのは彼ではなく、彼の母親の事だ。


キヨトの家は斜面に建つ小さなラーメン屋だった。店に客がいる所を見た事はないが、山の真ん中に小学校と中学校がある私達の学区は、それを緩やかに囲むように生徒達の家も分布していて、どこの家庭でも忙しい昼などはこのラーメン屋に出前を頼む事があった。

 電話の対応をキヨトの母親がするのだが、その態度があまりにぶっきらぼうだと評判だった。まず「もしもし」ではなく間を空けてから「何?」と不機嫌に始まる応対は終始大儀そうで、嫌なら頼むなと言いたげな挑発めいた気配すら漂う。調理と出前を担当している父親は愛想が良く、だからこそあの母親はなんなんだと地域では悪名が知れ渡っていて、それでも他に出前を頼める店が無いので皆しぶしぶ利用しているのだった。


 子供だった私達は、どこの家でもあの無愛想を食らっていると知ると影で手を叩いて笑ったが、キヨトの父親の家業を茶化して殴られる者はいても、母親の事は誰も面前では口に出さなかった。母親の鬱屈した雰囲気は子供の手に余る迫力と重みがあり、キヨトの感情の不安定さもその辺りに根があるのだろうと、バカな私達もさすがに察していた。