29th January 2026

自分が今している事は、日課、でしかない。


自分が決めた事を、1日に自分が決めた分だけやって、時期がくればそれをまとめて展示したり売ったりする。誰に求められているわけでもなく、頼まれたわけでもなく、勝手にやってる。自分がやりたくて、そうやっている。


それを毎日こなす、律儀さ、だったり、真面目さ、が自分は好きで、その中にいる事がほとんどすべての目的だと言っていい。いや、本当はそれでお金を稼いでいるから、生活の為だと言えるのだけど、でも本当に中心の、皮をむいてむいてむいていった所には、自分が決めた事をただやり続けたい、という虫のような欲しかない。


だから。


今みたいに風邪を引いたり体調が悪くなると、日課、がこなせなくて辛くなる。真面目に、決めた分量をこなす、という事ができなくてストレスを感じる。本当なら、だったら、休めばいいのだけど、ここで問題になるのが、本質ではない、しかし実はかなり重要な、お金を稼いでいる、という部分で、これのせいで、風邪を引いても休まずに、日課、をこなさないといけなくなる。


そうすると、日課、が楽しいものではなく、誰に頼まれたわけでもなかったのに、お金を稼ぎたい自分、の要求によってやっている、仕事、になってしまう。仕事、なんかはもちろん好きじゃ無い。好きだった、日課、が、好きじゃ無い、仕事、になってしまう。簡単に、くるっと、裏返ってしまう。


そういう事は本当に良くあって、例えばいまやってる他人の近況シリーズも、冊子として20巻くらい、できれば50巻くらいは描いていきたいのだけど、ただ描いていれば楽しい、日課、でしかないが、それをまとめて売る、という事になった途端に、売れなくなるとその、日課、をやめなければいけなくなってしまう。生活として続ける以上、売れないものを、原価を払って作るのは、変だ、という事になってしまう。


他人の近況シリーズは、本当はどこから読んでもいいものだが、巻数を重ねると、39巻出ました、とかいう告知をいつかしなければいけないだろう。それは1巻から買い続けている人には買いやすいものだが、いきなり、39巻から買おう、そして本棚に39とだけ書かれた本を挿そうと思える人は、想像上1人もいないから、おそらく他人の近況シリーズはどこかで思ったほど売れなくなる、赤字が出てしまうくらい全く売れなくなる、という事になると思う。そうなったら、やめると思う。日課、が、生活、に追い出されるのはいつもこういうパターンだ。

(今でも別に、いつやめてもいいくらいの数しか売れていない)


その日はいつになるだろう、その日が来なければ良いな、と思いながら描いている。もしくは、積み立てNISAみたいな事でお金は確保するしかないのかもしれない。


それでいまこのブログを書いている理由は、日課、が風邪によって生活に圧迫されているストレスからで、仕事、をやれと、自分、を働かそうとする、自分、から逃げるためだ。今日の日課、は終わったが、今月やること、みたいなのはまだあり、それに手を付ける前にこれを書いている。


自分が定めた日課、それが、仕事、に変わるような事から逃げるには、減らしたり休んだりする事じゃ無く、増やして相手の(自分の)目をくらませる方法しかないと思う。


例えば、ほくろ毛、という言葉があって、それはほくろからピロンと1本毛が伸びている状態だけれど、「ほく」と「毛」という文字が音が含まれているにも関わらず「ほくほくのコロッケ」を食べている時に「ほくろ毛」の事は連想されない、またはされにくい。一般的にではなくて、自分は、しない。


こういう事を、書かないといけない。

忙しい時に限って、こういう事を書いて、抵抗しなければならない。


またはその場所を、生活として、仕事として確保する為に、これを書く、こういう事を書いて、売る、noteをやろうかと思う。noteは原価が無いから売れなくても良いし、あと、とか、それでいうと、みたいな、そういう話は、実際にnoteを始めたらそこに書きます。


いまは、始める、とも、始めない、とも、決めていない。