離岸

19th April 2025

今日も丸1日机に向かっていたが何も出来なかった。

ただずっと眠たくて、短い睡眠を何度かとっただけ。


早くすべてが終わってくれないだろうか。

もう疲れた。本当に。


誰とも会いたくない。

誰とも話したくない。

何もしたくない。


生活の為だけに体を動かそうとするのはやはりどうにも限界だ。

何かをしようとする度に体調の影に怯えてる。しかもこの病気の一番の原因は「ストレス」だって。


じゃあどうすればいいんだっつの。



17th April 2025

少しずつ体調は良くなってきたが、いつも通り体調が悪かった頃に溜めていた作業を端から崩していくことになり、それで疲れてる。


こういう人生になる事があらかじめ決まっていたとして、自分は同じ仕事を選んでいただろうか。そんな事を考えても仕方ないのだが。


そもそも今の状況は自分で選んだわけでもない。どうにも性格と能力の折り合いがつかず、どこにも定着できなかっただけ。


下流でくるくる回っているだけの落ち葉に

「流れに逆らえなかったのか?」

「本当はどこを流れたかったのか?」

聞いても答えなどもっているはずもない。



9th April 2025

だましだましでしか体を動かせない。

本当に自分の体をどこかに運んで何かをするのは今年までだと思う。


いや、あと半年ちょっとか。

その時間が埋まるまではどうにかやっていきたい。


そこから先は人との接点をどこまで無くせるか。

無くした上で、どうやって生活が出来るか。



8th April 2025

体調、山は越えたかと思わせて、まだまだ先が見えない。

副業みたいなものをなんとなく思いついてまたパチパチとそろばんを弾く。


毎回体調に合わせてやれる事、作る物を小さく軽くしていってるのに、次のもダメだったら本当にもう出来る事はない(と思う)。


昔はやりたい事が確かにあった気がするけどもう忘れてしまった。

思い出になりそうな出来事もすべて端から忘れてしまった。



25th March 2025

限界だ。もう生き方を変えなければ行けない。

よく頑張ったと思う。辛かった。

面白いことがなかなか出来なくて辛かった。


あと一年も無いけど、残ってる予定をこなしてそれで終わりにしよう。


鳥のように、木々のように、誰にも知られずにひっそりと老いさらばえて、姿を消そう。それだけが希望。色々してもらって、有り難かった。


ゆっくり時間をかけて忘れ去ってもらうのが本望だ。

もう誰にも会いたくない。言葉を交わしたくない。


楽しかったと、言葉を残して終わらせる。

長い退屈と終活に備える。



19th March 2025

もうダメだろう。


20日以上体調に気を使って生活をして、少しも回復の兆しがない。

やりたい事も作りたい物もあるのに、具合の悪さが締め切りを削って、しかし発表の予定だけは元気だった頃の自分が押えてる。ずっとそんな調子。ずっと同じサイクル。


これを繰り返す度に心から辟易として、暗くなる。

どうして自分のリズムで生きていけないのか。

じゃあ創作を生活の中心からはずして社会に合わせて暮らした所で、それはそれで体調の波にまた圧迫されていくだけだろう。今のバイトに月に22日以上出ればとりあえずの生活は出来るが、それこそ体を壊すのは明白だ。


もう本当に疲れ果てた。

やれなかった事の借金を、ずっと払い終えないまま、なんとか誤魔化したり、核心からずらして迂回したり、最終的な点数を減らしたり。二番手みたいなアイディアばかり採用する事になって、自分は何をやってるのかと思う。引き返そうと思ってみても、会場費はもう払い込み済みだ。


もう疲れた。カツ丼とか、辛い麻婆茄子炒めとか、そういうものを食べて〆にキムチをドカ乗せした冷麺とかを食べて寝たい。


そんな事が望み。







2nd March 2025

年末から年始にかけて、一月の中盤、そして二月の後半から今にかけてと今年は体調を崩す頻度が高すぎる。さすがに年間で立てていた予定も崩れ果てて、もう涙も気力もアイディアも出ない。


持病が出ている時は刺身みたいな、お腹へのダメージが少ないものを食べて暮らしたいが、もう持病が出過ぎているせいで金も無く、仕方なく乾燥麺にお湯すらかけずにボリボリと囓っている。


こんな食生活が体調に良ければ簡単な話で、勿論具合はどんどん悪くなり、手足は痺れて吐き気は止まらず、もうどうにも希望もへったくれもない。


何もしないのが一番体には良いのだけれど、そうするとさらにお金は無くなるわけで、そんな自分を支えるのが体調の悪い自分ともなれば、一人で勝手に共倒れへと向かっているような道行き。


ならばと無理を重ねてみても、体力は陰険な金貸しのようになって前借り分を踏み倒させてはくれず、後できっちりと追い込みをかけられてこんな風に寝込む羽目になる。


今年は始まったばかりだというのにすっかりその辺のやりくりに疲れ切ってしまい、それでも元気だった頃の自分が立てた予定を、体調の悪い今の自分が消化しなければならず、何かこの体調でも出来る事は無いかとまた探す所から始めている。ずっとふりだしに戻るすごろくを続けているようで、早く全てを止めてあがりたいと願う事すら体にさわる。



18th February 2025

体調が悪化して為す術も無く、暗い、酷い気持ちになってしまった。他人は全員楽しそうで、自分には楽しいことなんか何も無い。


こんな気分すら良く寝たら治ったりするのだから、何も信用できない。



12th February 2025

(これは2月14日から開催する個展で読める冊子用の文章の冒頭です。続きは会場に来て読んで頂けたら有り難いです)


最近、妙に思い出される人がいる。

小中学校の同級生でキヨトという男の子がいた。ぐりぐりの天然パーマだが今思い返すと顔立ちは良く、頭が小さくて背が高い。野球ばかりしていていつもは温厚だが、何かの拍子に激高すると手が付けられず、目に涙を溜めたまま相手を滅多打ちにしてしまう。それで私もクラスの人間も微妙な距離を空けながらの付き合いになっていて、深い所で関わっている者が少ない。しかし今思い出させるのは彼ではなく、彼の母親の事だ。


キヨトの家は斜面に建つ小さなラーメン屋だった。店に客がいる所を見た事はないが、山の真ん中に小学校と中学校がある私達の学区は、それを緩やかに囲むように生徒達の家も分布していて、どこの家庭でも忙しい昼などはこのラーメン屋に出前を頼む事があった。

 電話の対応をキヨトの母親がするのだが、その態度があまりにぶっきらぼうだと評判だった。まず「もしもし」ではなく間を空けてから「何?」と不機嫌に始まる応対は終始大儀そうで、嫌なら頼むなと言いたげな挑発めいた気配すら漂う。調理と出前を担当している父親は愛想が良く、だからこそあの母親はなんなんだと地域では悪名が知れ渡っていて、それでも他に出前を頼める店が無いので皆しぶしぶ利用しているのだった。


 子供だった私達は、どこの家でもあの無愛想を食らっていると知ると影で手を叩いて笑ったが、キヨトの父親の家業を茶化して殴られる者はいても、母親の事は誰も面前では口に出さなかった。母親の鬱屈した雰囲気は子供の手に余る迫力と重みがあり、キヨトの感情の不安定さもその辺りに根があるのだろうと、バカな私達もさすがに察していた。



28th January 2025

今日は風が強かった。

風が強い日は何も出来ない。


人が、当たり前に何かを食べたり、普通に仕事をしたり、その場だけ明るく振る舞ったり、そういう社会性を昔は持っていなかったのに、いつのまにか自然と出来るようになっていたり、とはいえ家に帰ると澱のように溜まっているものを自覚したり、しなかったり、無表情のまま指先だけで来ているLINEを返して、また何かを食べたり、休みの日にどこかに行こうと思ったり、見返さない写真を撮ったり。また、簡単な言葉に慰められたり、慰めたり、すれ違って、別れて、街にはたくさん人が歩いていて、でもそれが全部個別の、全く違う人間で、歩き去った人の後からまた違う人が出てくるという事。それは見ていようが目をつぶろうが決して変わらないという事。


風が強い日はふとそういう事が恐ろしくて仕方がなくなる。

そういう事のいちいちが怖くて怖くて、仕方なくなる。